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横浜市青葉区、平川・保木の散策

歴史研究家の宮沢氏の軽妙な語り口を聞きながら散策をする。

* 地名を付ける時は1人しか住んでいない時はつけない。
  教える必要がないからだ。
  危険な場所や水のある場所に名前を付ける。
  このあたりは湧水があり住みやすい場所だった。

* 昔、青葉区の平川には山梨県から来た女工さんが150名ほどいた。
  男は炭焼きや狩りで生計をたてていた。
  山梨弁が横浜の言葉になっているものもある。

* 平川神社の社殿の彫り物はたいしたものだ。
  当時、農産物を売ったりして経済力のある人物がいたのだろう。
  近所の氏神さまにお願いごとをするのではなく
  有り難うの感謝の気持ちを伝えたい。

横浜市青葉区、平川・保木の散策_f0017185_2051270.jpg  筆子塚
  岩崎太郎左衛門という人が
  寺子屋で40名ほどの子供に
  学問を教えていた。
  泥棒にも食べ物を与える
  とても優しい人だった。
  小学校が出来たときも子ども達は
  学校に行きたがらなかったとか。
  亡くなった時寺子屋があったところに
  筆子塚を作ったと言う。

車一台が通れるほどの狭い道に筆子塚がある。

* 銅銭も742枚見つかったと言うから
  このあたりはお城があったのかもしれない。
  若い街という印象だが古墳時代に遡る。
  今の私達の生活の源となっている。  

横浜市青葉区、平川・保木の散策_f0017185_20121767.jpg平川の大灯篭
浄土真宗・本願寺派の覚永寺に行く道に
大きな灯篭がある。
江戸の薩摩屋敷に奉公していた平川の女性が
お礼にもらってきたものと伝えられていて
「薩摩灯篭」とも呼ばれている。
とても大きい灯篭だ。
説明を受けながらの散策は
知らないことばかり。
面白くて興味ぶかかった。
また今度続きをしてくれるそうなので
楽しみにしている。

by mmk0512 | 2017-06-03 20:21 | 散策 | Comments(0)